不安のコントロール法~心編~

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不安のコントロール法

いよいよ本題に入りますが、僕がこのブログを始めたのは、自分の闘病歴を語りたいわけではなく、「どうやったら強迫性障害を乗り越えられるか」ということを伝えたかったからです。

その真髄は「不安をいかにコントロールし、本来の自分の意志で行動するか」というところになります。

今回の記事だけですべてを書くのは難しいのですが、全三回(予定)の一回目を書きたいと思います。

※※あくまで僕の考えなので、科学的に認められているものではない点はご了承ください※※

そもそも不安とは何か

前回、ついに強迫症状をコントロールする糸口をつかんだ僕ですが、「そもそも不安って何?」という漠然とした疑問がありました。

強迫観念や強迫行為の話をするたびに、H島先生の口から出る「不安」という言葉。森田療法の書籍に何度も登場する「不安」という言葉。「不安って一体何?」あらためて考えるとよくわからないです。

結論から言うと、不安とは「嫌な気持ち。落ち着かない気持ち。または強迫観念そのもの」だと思ってください。

我々が強迫観念を感じている時、強迫行為を行っている時、強迫観念や強迫行為の内容は人によって千差万別ですが、間違いなく共通しているのは、「その時、自分は不安である」ということです。

「●●が起きるかもしれない」という言語化されたイメージと、それに伴う「強烈に不安な感情(嫌な感情)」が強迫性障害という病気の根幹になると考えます。

強迫性障害とはどんな病気か

繰り返しになりますが、これは断片的に聞いた専門家の言葉に僕の経験を交えた主観的な考えだということは前提としてください。

いうまでもなく、強迫性障害とは強迫観念を取り払おうと強迫行為を行うことで、一時的に強迫観念は収まるものの、それはあくまで一時的なもので、このサイクルを繰り返すことで益々強迫観念は強まり、強迫観念と強迫行為によって生活に支障がでる病気です。

というのは一般論ですが、僕はこのように解釈しています。

強迫性障害とは…

  • 不安(嫌な考え)な経験が頭から離れなくなる病気
  • 不安(嫌な考え)を排除しようと行動するも排除できない病気
  • これらのイメージや経験が複雑に重なったり絡まり合い「強迫観念」として自動思考化する病気

持論ですが、強迫性障害の方は基本的に「異常に嫌な出来事を記憶している」「完璧主義」「こだわりが強い」傾向があります。

特に一番目が重要です。皆さんこう感じたことありませんか?

「忘れたいのに忘れられない」「頭からイメージが消えない」「本当は離したいのに、ずっと掴んでいる感じ」

あえてこういう言い方をしますが、健常者にとっては「すぐに忘れてしまう経験」が強迫患者にとっては「嫌でも忘れられない経験」になることが多々あり、その経験は「はっきり思い出せる頭の中の画像(映像)」で思い出せるのではないでしょうか?

そして、強迫患者はこの「はっきり思い出せる頭の中の画像(映像)」を完璧に消去しようとこだわり四苦八苦します。

その四苦八苦する行為が強迫行為になりますが、それはとても苦しい行為であり、場合によっては家族や他人に馬鹿にされたり、自分を責めたり、複雑に重なり合った苦しい苦しい経験として頭に残ります。

そして、その経験が強迫観念を更に強める「イメージ」として頭にはっきりと残ります。

そして、そのイメージをまた完璧に消去しようとこだわり…

という感じで延々とループを繰り返し、最初の小さな不安な経験はあまりに大きな不安な経験に増大していきます。

自動思考の罠

少し話題を変えますが、なぜ強迫観念は突然頭に浮かんでくるのでしょうか。本当に24時間強迫観念を感じていることは稀で、人によって異なる場面で異なるイメージとして浮かんできます。

自動思考とは、体験する出来事に対して反射的に生じる考えやイメージのことです

https://terapi.jp/column/automatic-thoughts-improvement/#:~:text=%E8%87%AA%E5%8B%95%E6%80%9D%E8%80%83%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E4%BD%93%E9%A8%93,%E5%AE%B6%E3%81%AB%E7%9B%B8%E8%AB%87%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%80%82

人間は誰しも無意識(反射的)に何らかの行動をします。例えばですが、「火に触れそうになったら避ける」「赤信号を見たら注意する」等々…

ちなみに、これらは生まれたときからそうでしょうか?そんなことはないですよね。

生まれたときから持った本能も無意識からくるものですが、生まれた後に身につける無意識の行動も星の数ほどあります。

例えばですが、小さい子供は赤信号を見ても構わず突っ走っていきますが、大人からその行為を危険だと指摘され何度もその画面を経験し、大人になると無意識で危険を察知して少なくとも周りを見渡します。

つまり、経験を積めば積むほど、最初は頭になかった考えが無意識の考えとして根付いていく行くわけです。

もうわかりますよね?これが強迫観念の原型です。

ある時頭に浮かんだ「嫌な考え」を何度も何度も刷り込みのように自ら繰り返すことで、「嫌な考え」は強迫観念として自動思考化していきます。

精神交互作用のメカニズム

では、我々はなぜ最初は小さかった「嫌な考え」をわざわざ何度も何度も繰り返してしまうのでしょう。

それを説明するのが精神交互作用のメカニズムという考え方です。プレゼン前に緊張した場合を例に挙げて図解します。

このように我々は本能的に不安感を感じるとそれに対して何らかの対処を行います。

その対処により不安が解消されればそれでいいのですが、僕を含め神経質な方は不安を「あって当たり前」「たいしたことではない」と割り切らず、それを取り払おうと「気になってしょうがない」「不安がない状態にしたい」とあえて自分から不安の真正面に立とうとします

そして、不安が少しでも残っていると不安を放置できずに完璧に排除しようとするあまり、結果、実はその行為が「ますます不安を意識している」行動となり、無限ループのサイクルにはまり強迫観念を強める結果となります。

これが強迫行為が強迫観念を強めてしまうメカニズムです。

「かくあるべし」という考え方

さらに深堀すると、強迫患者は「かくあるべし(こうでなくてはいけない)」とこだわりが強い傾向があります。

「不安な状態を完璧に解消するためにあれこれしなければいけない」

「完璧にきれいにする」「完璧に準備して整える」「完璧に戸締りをする」

こうして、かくあるべし」の考えで不安を完璧に取り除こうとあれこれ行動し、「精神交互作用のメカニズム」により逆に不安を強化してしまい、ますます不安を「自動思考化」してしまう、これが強迫性のロジックの一つです。

では、無意識に刷り込まれた強迫観念はもう消さないのか…治すことはできないのか…我々に希望はないのか…

全然そんなことありません!自動思考を消す(薄める)方法だってしっかりあるので安心してください!

薬は飲むべきか?

精神治療の手法は世の中にたくさんありますが、まずは前提として薬は飲むべきだと思います。

強迫性障害の治療には認知行動療法が有効と言われていますが、最初に伝えると結構しんどいです。その代わり解放感があるので僕は楽しかったです。

ただ、そもそも薬を飲んでいないと強迫観念に飲まれてしまいスタート地点に立つことすらできなかったり、これからの治療を登山に例えると、乗り越える山がエベレストに見えて初めから挫折してしまったりします。

薬を飲まないで治療するというのは軽装備でエベレスト登山に挑戦するようなものなので、まずは装備をしっかり整えるという意味でもSSRIと抗不安薬の服用をお勧めします。

心・技・体で強迫性障害を治す

では、いよいよ不安のコントロール法の本題に入ります。ちょっとダサいですが、わかりやすいのであえて心・技・体と書きます(笑)

これは僕の経験から「う~ん。こんな感じで社会復帰したよなぁ」みたいに緩く考えたのをそれっぽくまとめただけなので、あとで付け足されたり、言い方変えたりする可能性大です。

心技体のカテゴリの中で特に重要なことを赤字にしていますが、基本的には全ての項目を理解することをお勧めします。

というか、全てを少しづつ理解しながら認知行動療法を実践することで改善していくものだと思った方が良いかもしれません

心だけでも、技だけでも、体だけでもなく、心・技・体全部そろって真価を発揮する!益々ダサいですが、実際三つそろうことが重要かなと思います(笑)

この一覧の方法はH島先生から教わったことや、自分が治療を進めていくにつれて気づいたこと、他にも色々な考え方をミックスしていますが、僕が強迫性観念をある程度コントロールできるようになるために必要だったことを網羅しました。

ちなみに、僕は当時、あっちもこっちも強迫観念を感じるところだらけでした。

言ってみれば常に強迫観念を感じている状態だったので、「ここを触れるようになった」とか「ここで確認をしなくなった」とかそういう治し方だととんでもない長い時間がかかってしまいます。

そのため、H島先生が僕に教えてくれたのは「ここを触れるようになろう」「ここで確認をしないようにしよう」ではなく、「強迫観念を自分でコントロールできるようにしよう」という考え方でした。

このブログで書いていくことも同様で、ゴール地点は「強迫観念を自分でコントロールできるようにしよう」なので、ぜひ身に着けてください。

ある程度強迫観念をコントロールできるようになれば、あとは社会生活をしながら治療を継続してもらいたいなぁと思っています。

「本当に強迫観念のコントロールなんてできるようになるの?」と思う方もいるかもしれませんが、こらから伝えていくのはいわば「感情のコントロール法」です。

余談ですが、ヒカルの碁の伊角君はすぐに動揺していまう性格で伸び悩んでいたのですが、中国に勉強に行った際に「感情のコントロールが? 修得、できる?」と気づき、そこから一気に伸びてプロテストに合格したました。

正にこの記事を読んでいる皆さんも学んで実践すれば身に着けることのできる単なる技術だと思ってください。

実際に僕も入院生活の間に身に着けて、「強迫観念を感じたら、あるやり方で力を抜いて違う何かに意識を向けて行動し、数分間経てば強迫観念は消えていて、次回から同じシチュエーションでは強迫観念は極小もしくは発生しない」ということができるようになりました。

まずは騙されたと思って、一つ一つ実践してみていただければと思います。

それでは、さっそく各項目について解説を始めたいと思いますが、いきなり全部詳しく書くとめちゃくちゃ長い記事になってしまいます。

なので、今回は僕が入院生活初期にたまたま気付くことのできた「不安のコントロール方法~~」について触れていきます。

強迫観念を客観的に見る

強迫観念性障害にはいくつかの段階があり、「強迫観念に飲まれている状態」「強迫観念に抵抗ができる状態」「強迫観念を客観視できている状態」の三つに分かれていると思います。

まずは、とにもかくにも一番最後の「強迫観念を客観視できている状態」を目指す必要があります。

これは言い方を変えると「自分が心配している状況は現実的にはほぼ発生しない「周りの人は気にもしていない」ことに自分自身で気づくということになります。

極端な話をしますが、我々が心配している強迫観念は世の中的にはカス程も気にもされない発生確率0.01%以下程度のことか、もしくは発生したところでどうということでもない、どうでもいい考えです。

それをわざわざ自分から気にしているわけで、周囲の大多数の人から見たら「何をそんな小さな事を気にしてるんだ」と思われることがほとんどのはずです。

少し厳しい言い方をしました。ですが、なぜこんな書き方をしているかというと、この記事を読んでいただいている貴方にこのことに気付いてほしいのです。

いや、むしろ貴方自身もとっくに気づいているはずです。「自分が気にしすぎなだけなんだ」と。

その気持ちを最大限に膨らませて、【強迫観念は自分の中で作ってしまった自動思考のかたまりで、本来の自分の考えとは違うということを確信に近づけて】ください。

ここがスタートです。まずは強迫観念と本来の自分の考えを分けることから始めます。

念のため、もう一度言いますね。

あなたが心配していることは実際は全く何の心配もいりません。その考えが現実になる確率は圧倒的に低いか、例え起きたとしても大して問題にはならないかどちらかです。自分の強迫観念を信じるのではなく、周囲の人に意識を向けて周囲の人の考えや行動を信じてみてください。

……

いかがでしょう?この段階で皆さんが自分の中に「強迫観念(自動思考)」と「本来の自分の考え」の二つが共存しているということをなんとなく感じてくれれば大成功です。

ちなみに、強迫症状が酷いと、本当に頭の中で強迫観念がはっきりと言葉で話しているような感じになるかもしれません(僕もそういう時期がありました)。

ちょっと幻聴っぽくなりますが、これから良くなっていく貴方にとっては今だけの貴重な体験だと思って、むしろ楽しむくらい余裕を持っちゃってください。

他にも、「落ち着いて考えられるときは強迫観念と本来の自分の考えを分けられるけど、強迫行為をしている時は混乱してしまって完全に飲まれてしまう」とか「そんなこと言ったらあれもこれも強迫観念だと思えてしまう」みたいなのもあるかもしれません。

結論、どちらも問題ありません。僕もそうでした。

この段階で必要なことは、客観視できる時間が少しでも取れることだと思っておいてください。

強迫観念に抵抗しない

客観視を少しでもできたら次のステップに進みます。

では、強迫観念と本来の自分の考えを分けて、強迫観念に真正面から向き合って強く抵抗し続ければ治るのか?

答えは割とNOです。

※「割と」というのは、強く抵抗して治った方もいるかもしれないからです

少し話を戻しますが、前述の精神交互作用のメカニズムからも、不安感やその身体症状は意識すればするほど結果的に悪化します。

強迫観念と正面から向き合って、「強迫行為の手順をああしようこうしよう。気合を入れて抵抗しよう」と考えること自体、実は強迫観念を意識していることになり強迫観念は益々強まります。

そのため、「強迫観念を無視する」または「強迫観念をあるがままに受け入れる」が正しい方法になります。

無視できるようになるのがベストですが、皆さんの中には「強迫観念が強烈すぎてとても無視できない」というケースや「無視しても何時間も強迫観念が消えない」というケースがあると思います。

詳しくは認知行動療法のセクションで語りますが、どちらのケースも当然なので全然OKです。それでもちゃんと治ります。

僕の場合はいきなり「強迫観念を無視する」には至らなかったので「強迫観念をあるがままに受け入れる」という考えのもと、以下のように考えました。

敵として扱うのではなく、あくまで自分の中にある自分を助けてあげようと思い、強迫行為をしている自分を否定せず優しい気持ちで受け入れて、強迫行為をしている時に優しい感情にするようにしたんです。

強迫行為を最初からきっぱりやめる必要はありませんし、最初は「あるがまま。あるがまま。」と言葉に出すこともありましたが、練習している内に感情だけでコントロールできるようになりました。

ここで重要なのは「優しい感情」というところになります。例え、強迫行為をしている最中であっても「優しい感情」をなるべく継続してください。

詳細な説明はここでは省きますが、実はこれが認知行動療法そのものであり、精神交互作用のメカニズムからも説明できる対処方法で、強迫観念のとらえ方を変えることで、その不安感をぐっと下げる方法にもなります。

なので、僕は「弱っている自分」に置き換えましたが、「助けてあげたい人」とか「愛犬」とか「自分の好きなアイドル」とか、とにかく自分が優しく受け入れてあげれる対象に置き換えて、「本来の自分の意志で、強迫観念を感じている対象に対して、叱責するのではなく、厳しき指導するのもなく、ただただ優しく受け入れてあげる気持ち」を最大限に膨らませてあげてください。

※既に強迫観念を無視できている人はそのままで大丈夫です。

先日の記事で書いた入院初期の僕に起きたエピソードというのは、まさにこれを実践することができたため、強迫観念の不安感がぐっと下がったということになります。

ただ、これは改善のきっかけに過ぎず、入院生活の中で他にも重要な考えをたくさん学びました。そちらについても今回合わせて紹介します。

「かくあるべし」ではなく、ほどよく考える

強迫性障害の患者さんは完璧主義で「こうではなくてはいけない」と考える傾向が強いと言われています。これを森田療法では「かくあるべし」の考え方と呼びます。

  • 完璧に不安を排除したい(強迫行為を完璧にやって安心したい)
  • 自分も完璧でありたい
  • 周囲の環境(他人)も「こうであるべき」という考えがある
  • 完璧主義は絶対に良いことである

大体こんな感じかと思います。

ですが、実際は生きてる限り心配なことは常にあり、完璧な人間などいません。人はそれぞれに育った環境が違い、考え方も異なります。完璧主義は確かに悪いことではないですが、自分や周囲を苦しめる行き過ぎた完璧主義は決して良いことではありません。

こんな現実的には達成できない完璧を追い求めることは、理想と現実のギャップを産み、明確に自分自身を苦しめます。

「完璧に不安のない状態」などありえません。不安があったっていいじゃないですか。不安だけでは人は死にません。むしろ不安を乗り越えることを楽しみませんか?

これから強迫の治療を行う皆さんはまさにこれを体験できます。そして、それができる貴方はすごい人なんです。完璧でなくたって、十分に凄い人なんです。

「不安があったって別に良いんだ」

そう思える自分を大いに褒めてあげてください。

不安があったって進める貴方が実現できたとき、貴方のバランスの取れた完璧主義という考え方は様々な場面であなたを助けます。

「かくあるべし」という考え方を、ほどよく考える。

また、入院エピソードでも語りますが、物凄く重要な考えだと思っていてください。

過去の自分を許し、未来を視る

強迫性障害の方は何年も一人で症状を抱え、それを周知に隠し、生活に大きな影響が出てから病院に行くことが多いです。

そのため、数年間を強迫症状で苦しみ制限された生活を送ってきた場合があり、「自分の人生って何だったのだろう」と思う方が多いかと思います。

凄く良くわかります。僕も同じで、受験に失敗し、病気になり、何も持っていない自分を恥じて責め続け、そしてどんどん症状を悪化させました。

もちろん、すぐにこの考えを直せとは言いません。

でも、治療をする中で「これまでできなかったことができるようになる自分」を想像し、過去の自分や強迫を責めるのではなく、未来の自分を視てあげてください。

何歳からだって再スタートは切れます。安心してください。僕もそこそこ普通の生活ができています。

これから治療を進めようとする貴方を僕は尊敬しますし、一緒に貴方を褒めたたえたいです。でもまずは、貴方自身で過去の自分を許して、これから先を視てあげてほしいです。

この未来志向の考え方を森田療法では「生の欲望」と言い、精神治療をする上で重要な原動力となる考え方になります。

まずは過去の自分を許し、未来にやりたいこと考えませんか?

もしよろしければ、僕に連絡をください。X(Twitter)でだってかまいません。そして、いつか一緒に喜びましょう。色んなことが自由にできるようになったことを。

さて、それでは、今回はこのくらいにしておきたいと思います。

この治療方法は森田療法に基づく考え方が多々あります。興味があるかたはこちらを参考にしてください。

次回は入院編に一度戻り、いよいよ認知行動療法を始めたエピソードについて触れていきたいと思います。

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